2012年4月6日金曜日

ヤング≒アダルト(2011年)

メイビスがラストシーンで食べるのはドーナツ。


 仕事の関係でTVドラマ「ユナイテッド・ステイツ・オブ・タラ」を見なければならない機会があり、参考のために、同じくディアブロ・コディが脚本を書いた映画『ジュノ/JUNO』も続けて見たら、すっかり彼女のファンになってしまいました!

 人生においてマイナスとしか思えない事柄も(多重人格症や未成年の妊娠)、意外とマイナスじゃない、もしかしてかえってプラスかも? と思えるような、彼女が描く「幸と不幸の境目がなくなる瞬間」が大好き。というわけで、ディアブロ・コディの新作が来たら映画館に見に行こうと待ちかまえていたところ、ジェイソン・ライトマン監督『ヤング≒アダルト』が封切られたので、さっそく日比谷のシャンテに行ってきました。

 楽しみに思うのと同時に、主人公が「もう若くない田舎出身の負け犬女」と聞いて、「もう若くない富山出身の負け犬女」としては「どれどれ(お手並み拝見)」という気分で見たのも本当のところです。


 


 若者向け小説のゴーストライターでミネアポリス在住、三十七歳のメイビス(シャーリーズ・セロン)が映画の主人公です。かつて人気だったシリーズ小説も打ち切りが決定し、浮かない気持ちで最終回を執筆する日々を送っていた彼女のもとに、元カレのバディ(パトリック・ウィルソン)から赤ちゃん誕生のメールが届きます。最終回の恋の結末の構想を練りつつ、パッとしないデートをした翌朝、運命の恋人を取り戻さなくてはならない気分になったメイビスは、故郷のマーキュリーへ! さっそくバディと再会し、彼にまだ自分への思いが残っていることを(勝手に)確信したメイビスは、元いじめられっ子のマット(パット・オズワルド)の制止をふりきって、バディの妻のバンド演奏会、赤ちゃんの命名式へ誘われるままに突進するのですが……というコメディです。




 都会に暮す業界人なんだけど、ニューヨークではなくミネアポリス住民。
 人気シリーズを手がける作家なんだけど、名前は表には出ないゴーストライター。
 オシャレでゴージャスな美女なんだけど、酔っ払って化粧をしたままベッドになだれ込むだらしない女。

 そんなメイビスに呆れるより共感できるところが多すぎて、大笑いしながら見ました。よほどきちんとしていて性格がよく上等な人間でない限り、彼女くらいの欺瞞と傲慢は誰にでも思い当たるところがあるのでは? 

 ダイエットコーラの2リットルペットボトルを常飲しつつも、アイスクリームやクッキー、ブラウニーなど甘いものを食べまくる、というのも私が日々やっていることと同じ! 女性の「甘いもの&ダイエット生活」を白日の下に晒してみると、メイビスに劣らないクレイジーな話はゴロゴロ転がっているはずです。甘いものひとつとっても、ディアブロ・コディの目の付けどころは面白く、彼女が描く「もう若くない田舎出身の負け犬女」は期待を裏切らない楽しさでした。





 欺瞞と傲慢にまみれたメイビスは、映画が終る頃には改心して何かを得る? 成長して故郷を去る? 予想とまったく違って、最後に待っていたのは、ちょっと震えるくらい感動的な結末でした。

 あのラストシーンのシャーリーズ・セロンが観客に与える勇気と力強さを何かにたとえるなら、今村昌平監督『豚と軍艦』のラストシーンでひとり横須賀から出て行く吉村実子のガッツに匹敵すると言いたいです。

 そして最後にシャーリーズ・セロンは今までと変わりなくココナッツフレークがふりかけられたドーナツを口にくわえたまま車を発進させます。何故しつこく最後までメイビスは甘いものを食べるのかというと、彼女は相変わらずだらしない女で、自分の欲望に正直な女で、だからこそ他人の欲望も認める女で、他人に同情するなんて失礼なことは絶対にしない女だからです。




 シャーリーズ・セロンのガッツに敬意を表し、人生初のドーナツを作ってみることにしました。

 しかし私が食べたことのある手作りドーナツというと、子どもの頃に母が作ってくれた、“余ったホットケーキミックスを丸めて揚げ、砂糖を入れた紙袋に入れて振る”という「穴のあいてないドーナツ」だけです。

 ドーナツが出てくる映画はたくさんあるのに、レシピはもとより、ドーナツはいつごろから食べられているのか、刑事がドーナツを食べる映画が多いのは起源となった作品があるのかなど、わからないことだらけ。

 そこでアメリカの料理について調べるときは必ず目を通すファニー・ファーマー著『The Boston Cooking School』をパラパラ見てみると、一八九六年版には三種類のドーナツのレシピが、一九一八年版には五種類のレシピが掲載されていました。少なくとも一九〇〇年頃には既に、ドーナツは定番のおやつだったことが想像できます。




 一九一八年版の五種類のドーナツは、Wheatless Doughnuts(ライ麦のドーナツ)、Raised Doughnuts(イーストを使ったドーナツ)、Doughnuts1(小麦粉と牛乳のドーナツ)、Doughnuts2(サワークリームとタルタルクリーム=酒石酸水素カリウムを使ったドーナツ)、Doughnuts3(ケーキのように黄身と白身を分けて泡立てたドーナツ)。

 初心者は最もシンプルなDoughnuts1に挑戦してみることにしました。オリジナルの量では多過ぎるので、その半量で試しましたが、初挑戦には初挑戦なりの試練が。オリジナルの量で作っていたら、とんでもないことになっていただろうとわかるのは後になってからでした。掲載されていたレシピは下記の通りです。

★『The Boston Cooking School』のドーナツ

【材料】
・砂糖 134g
・バター 30g
・卵 3個
・牛乳 240cc
・ベーキングパウダー 4ts
・シナモン 1/4ts
・挽いたナツメグ 1/4ts
・塩 1と1/2ts
・小麦粉 427g


【作り方】
バターを室温でやわらかくして1/2の砂糖を加える。ふんわりするまで卵をよくかき混ぜる。残りの砂糖を加え、先ほどのバターの混合物と混ぜる。3と1/2カップの小麦粉、ベーキングパウダー、塩、スパイスを混ぜてふるいにかける。生地を平らにのばせるくらい十分に小麦粉を加える。混ぜたものの1/3を、打ち粉をした板に打ちつけ、少しこね、軽くたたき、1/4インチ(約6mm)の厚さに引き伸ばす。ドーナツカッターで型を取り、たっぷりの油で揚げる。串で刺して引き上げ、キッチンペーパーで油を吸い取る。ドーナツカッターで型を取った余りを、残りの生地の1/2に加えて平らにのばし、形を作り、前と同じように揚げる。それを繰り返す。ドーナツは早く油の上の方にあがってこなければならず、片側が茶色になったら、同じ温度を保ったまま、茶色の側を上にひっくり返されなければならない。もし冷たすぎるなら、ドーナツは油を吸収するだろう。もし熱すぎたら、ドーナツは十分に火が通る前に茶色になるだろう。油で試してやり方を習得しよう。

ファニー・ファーマー著『The Boston Cooking School』の一九一八年版より






 オリジナルの半量の材料を混ぜ合わせてみると、ケーキの生地くらいのゆるさだったので、まずはレシピ通り小麦粉を足しました。

 しかし、足しても足しても生地はドロドロのままで、いつのまにかけっこうな量の小麦粉を足していることに気付きます(量は不明! これをオリジナルの量で作っていたらと考えるとゾッとするほどの量)。

 このまま調子に乗って足していると、カチカチのドーナツを何日間にも渡って食べ続けることになると思い、意を決してゆるい生地のままドーナツカッターでくり抜き、慎重に油に投入してみました。揚がったのは、ミスタードーナツのオールドファッションのように固くてどっしりした、パンのようなドーナツ。どこまでゆるい生地に踏み止まれるかに、やわらかいドーナツへの鍵が隠されているのでしょうか? 

 そしてクリスピー・クリームのオリジナル・グレーズドのような、ふわふわドーナツを作るにはたぶんイーストを使わなくてはならないのでしょう。次にドーナツ映画を見たら、黄身と白身を分けて泡立てる生地にも挑戦してみたいです。





 メイビスの故郷である田舎町「マーキュリー」は架空の町だそうですが、彼女が住んでいるミネアポリスといえばプリンスの町、『パープル・レイン』の町です。

 伝説のライブハウス「ファースト・アベニュー」と巨大なショッピングモールがあり、大きな道路をバイクで走れば湖に到着します。

 すぐ隣には、スコット・フィッツジェラルドが生まれたセントポールがあり、『冬の夢』の舞台となったホワイトベアー湖も近いです。


  


 『パープル・レイン』やフィッツジェラルドの小説では、ちょっとさえないアメリカ中西部出身の男の子が、南部からやってきた情熱的な女の子と運命の恋に落ちますが、『ヤング≒アダルト』では、中西部にくすぶっているのは野心満々の中年女で、元カレがフィッツジェラルドの主人公のようにロマンティックにいつまでも自分のことを好きでいてくれると思ったら大間違いであることがよくわかります。

 しかし現代のミネアポリスの女は、ゼルダのように精神が崩壊することはなく、デイジーのように上流階級の夫の庇護のもとでしか生きられないこともなく、ジュディーのように醜く不幸になるのでもなく、もっとしぶといのでした。やっぱりディアブロ・コディの作品は新鮮でガッツがあって、描かれている事柄やイメージ以上のものを喚起するので面白いです。

これからも彼女について行きます!