2010年12月23日木曜日

ザ・デッド/「ダブリン市民」より(1987年)

真っ赤なジャムをかけて食べるブランマンジェ。


 アッという間に一年が経ち、またクリスマスがやってきてしまいました。クリスマスといえば、今年は柳瀬尚紀訳で読んだジェイムス・ジョイス著『ダブリナーズ』の「死せるものたち」のクリスマスが印象的でした。ジョイス作品は、英語や古典の知識が無いと読んでも意味ないかなあと敬遠していたのですが、『ダブリナーズ』なら理解しやすいと聞いて読んでみたのでした。十七歳で死んでしまった会ったこともない青年への哀悼が妻への愛に転じ、果てはすべての死者や生者にあまねく注がれる思いに広がっていく様子が、アイルランド全土に静かに降り頻る雪になぞらえて書かれてあり、雪にまみれて大きくなった私は胸がいっぱいになってしまいました。そんな「死せる人々」を映画化したのが、ジョン・ヒューストン監督『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』です。


 


 原作でも印象的だったアイルランド民謡「オーグリムの乙女」のシーンが映画でもとても印象的でした。暗い階段の途中でアンジェリカ・ヒューストンが足を止めて歌をじっと聴くだけという映像もいいのですが、「オーグリムの乙女」という歌が予想を遥かに超えた美しい歌だったので、映画によって本物を聴く機会を得られてよかったです。ちょっとだけ「シルバー・ベルズ」(作曲:ジェイ・リビングストン、レイ・エヴァンス)のサビに似ているので、最初はクリスマスソングが映画音楽のモチーフにされているのかなあと思って見ていたら、後にそれは「オーグリムの乙女」の旋律であることがわかりました。


 


 「オーグリムの乙女」と同様に、映画で本物が見られて嬉しかったのが、クリスマスパーティーの料理です。映画に登場するのはアップルソースなしのガチョウのローストや特大のプディング、レモネード、長いセロリの茎、真っ赤なジャムのかかったブランマンジェの塊で、原作より種類は少ないのですが、“生活は質素だけど食生活は高級にする主義の三人の女主人”のクリスマス料理をじっくり見ることができます。





 最初に印象的に登場する食べ物が、大きくて白いブランマンジェでした。ブランマンジェなんて子どもの頃は食べたことも聞いたこともなかったですが、私が知らないだけで、欧米ではかなり古くからある定番デザートのようです。南北戦争中の北軍側のアメリカが舞台のジョージ・キューカー監督『若草物語』でも、風邪をひいてひきこもっているローリーにジョー(キャサリン・ヘプバーン)が渡すみまいの品が、深めの器に入れられ、花びらで飾られたブランマンジェでした(原作では緑の葉っぱの冠とゼラニウムの花びらで飾られていた)。


 


 一方、南軍側の『風と共に去りぬ』でも、南北戦争後の飢えたスカーレットが思い出す、かつてのタラの食卓には、「ヴァニラ入りのブランマンジェ」が並んでいたし、最初の夫の死後にレット・バトラーが訪ねてくる場面で、ノックの音を聞いてスカーレットが考えることは「近所の人々がブランマンジェでも持って葬式の話をするためにきてくれたのだろう」ということでした。


 


 当時はどんなブランマンジェが食べられていたのでしょうか。『ザ・デッド』の舞台は一九〇四年のダブリンということで、一八六一年にイギリスで出版された『MRS. BEETON'S BOOK OF HOUSEHOLD MANAGEMENT』のブランマンジェのレシピを調べてみました。


★ビートン夫人のくず粉のブランマンジェ

【材料】 1tbs=約15cc
・くず粉 4tbs(山盛り)
・砂糖 適宜
・牛乳 750cc
・レモンの皮
・ヴァニラ(その他、香り付けできるもの)

【作り方】
(1)少量の冷たい牛乳で、滑らかになるまでくず粉を混ぜる
(2)残りの牛乳を沸騰させ、ヴァニラ、レモンの皮を加えて20分間煎じる
(3)(1)のくず粉に、(2)の牛乳を注いでかき混ぜ、シチュー用鍋に移す
(4)砂糖を加えて、2~3分間静かに沸騰させる
(5)型を冷たい水ですすぎ、(4)を注ぎ、固まるまで置いておく
(6)とろ火で煮込んだ果物、ジャム、冷たいカスタードソースなどと一緒に盛り付ける





 ブランマンジェ=アーモンドの風味、というわけではないんですね。この本にはもうひとつ、小麦粉でとろみを付けて、卵黄とバナナと牛乳とヴァニラで作るバナナブランマンジェというレシピも紹介されていました(!) ビートン夫人が使っている“くず粉”はあるイギリスの小説に登場する面白いアイテムなのですが、長くなるのでそれについてはまた別の機会に…ということで、私はゼラチンを使って作ってみました。そして、ついつい生クリームを入れて濃厚ブランマンジェにしちゃいました。アーモンドプードルとスライスアーモンドの両方で試してみましたが、よく言われるように、スライスアーモンドの方が香りが牛乳に移りやすいようです。でも安いアーモンドを使っているせいか、量が少ないせいか、修行が足りないせいか、なかなかいい香りにならなくて難しいです。


★ブランマンジェ

【材料】6人分
・牛乳 400cc
・生クリーム 100cc
・粉ゼラチン 8g(少しやわらかめ)
・砂糖 30g
・スライスアーモンド 90g
※ゼラチンを水でふやかしておくなどは商品ごとの説明を参照

【作り方】
(1)生クリームを五分立てにして冷蔵庫に入れておく
(2)牛乳に砂糖を入れて火にかけ、端に泡が出たら火を止めてスライスアーモンドを砕きながら入れる
(3)約10分間、沸騰させないようにして煮るか、フタをして蒸らすかして、アーモンドの香りを牛乳に移す
(4)(3)を漉してゼラチンを溶かす
(5)再度漉してボウルを氷水で冷やしながら混ぜる
(6)とろみがついたら生クリームを混ぜて型に入れて冷やす


 『ザ・デッド』の食べきれないほどのご馳走、静かに湧き起こる情欲、降り頻る雪、そして人々が語る死者たちの話からふと頭に浮かんだのは、実は『おくりびと』が原作と同じテーマで撮られていたなら、この『ザ・デッド』のような佇まいの映画になる可能性もあったのかもなあということです。そちらも見てみたい気もしますが、それだとあそこまでの大ヒットにはならなかったのかもしれないですね。


 


 

2010年9月10日金曜日

ライフ・アクアティック(2005年)

アンジェリカ・ヒューストンが焼いてくれる山食パン。


 ずっと暑かったですが、とうとう夏も終わりそうでさびしいです。

 この映画は海がいっぱい映るので、あまりに暑かった頃に、涼むために見ました。ウェス・アンダーソン監督の映画は物悲しくて好きなのですが、いつまでも大人になりきれない息子と父の話ばっかりなので、女性の私としては警戒しつつ突き放しつつ鑑賞してます。しかし、この映画は不覚にも大泣きしてしまいました。


 


 主人公のスティーヴ・ズィスー(ビル・マーレイ)は海洋探検家かつドキュメンタリー映画作家です。クラウス(ウィレム・デフォー)、妻のエレノア(アンジェリカ・ヒューストン)、ペレ(セウ・ジョルジ)、ウォロダルスキー(ノア・テイラー)らから成る“チーム・ズィスー”を率いてベラフォンテ号に乗り、世界中の海を冒険して作品を撮っています。しかしこの九年間はヒットがなく、盟友のエステバン(シーモア・カッセル)を失った冒険を記録した新作も、映画祭で不評でした。そこでスティーブは再起を賭け、エステバンを殺したジャガーザメに復讐する旅を計画します。その新しい旅に、「スティーヴの息子」と名乗るネッド(オーウェン・ウィルソン)、不倫相手の子どもを妊娠中の海洋雑誌記者のジェーン(ケイト・ブランシェット)も同行することになり……というコメディです。


 


 スティーヴのモデルはフランスの海洋学者、ジャック=イヴ・クストーなのだそうです。確かにクストーとルイ・マルが共同監督した『沈黙の世界』を見たら、クストーはスティーヴと同じボンボン付きの赤いニット帽を被っているし、映画に使われている字幕の書体も似てるし、船内でチェロを弾く乗組員がいるし、犬もしっかり出て来ました。しかし、ウェス・アンダーソンとノア・バームバックによる音声解説では、クストーの名前を言っていると思われる箇所はすべて「ピー」音が! 映画のエンドクレジットにはちゃんと「IN MEMORY OF JACQUES-YVES COUSTEAU ~」とあったのに。


 


 ウェス・アンダーソン監督作品おなじみの父と息子の話に重ねて、この映画で語られるのは“ニセモノ”の話です。ヤラセドキュメンタリー、クストーのパチモノ、ヘンリー・セリックのアニメによる架空の海洋生物、息子と名乗る怪しい青年、ポルトガル語でデヴィッド・ボウイを歌うブラジル人、不倫相手の子どもを妊娠中の女、三本足の犬、浮気しまくりの仮面夫婦などなど全編に“ニセモノ”たちが溢れ返ってます。

 そんなニセモノの人々が、正統や本物や真実ってことを超えて、思いがけなく強い絆を見せてくれるので、意表をつかれて大泣きしてしまいました。ウェス・アンダーソン映画でおなじみ、端が歪むくらい広角で撮られたスタイリッシュな映像、ポップな色調、マーク・マザーズボーのかっこいい音楽、かわいい美術で作られた精巧な細工のような世界も、他の作品以上に合っているように感じます。


 


 ウェス・アンダーソン映画は、男性キャラクターがいつもなんだか似てるように、女性もたいていアンジェリカ・ヒューストン演じる知的で強い「母」か、タバコをひっきりなしに吸う「チンピラ娘」が登場します。

 ジェーンを演じるケイト・ブランシェットは、この映画ではひっきりなしにガムを噛んでますが、妊婦でなかったらガムはタバコだったはずです。そして今回のアンジェリカ・ヒューストン演じるエレノアは、強いけれど、子どものいない母でした。

 ベラフォンテ号の船内で、エレノアはフライパンで山食パンをトーストして、牛乳を添え、父のない子を産もうとしているチンピラ娘のジェーンに食べさせます。チーム・ズィスーのみなさんはケーキを作ったり、カンパリを飲んだり、でかいロブスターを食べたり、モエ・エ・シャンドンのマグナムボトルを飲んだり、ベラフォンテ号の中は楽しい食べ物シーンがいっぱいありましたが、女性二人で“ある秘密”について話す、この山食パンシーンが一番好きでした。エレノアが、ジェーンのお腹の中の子どもに、この上なく優しく、生命のもととなる栄養を与えつつ、ある子どもを容赦なく残酷に殺す、というすごいシーンです。