アンジェリカ・ヒューストンが焼いてくれる山食パン。 |
ずっと暑かったですが、とうとう夏も終わりそうでさびしいです。
この映画は海がいっぱい映るので、あまりに暑かった頃に、涼むために見ました。ウェス・アンダーソン監督の映画は物悲しくて好きなのですが、いつまでも大人になりきれない息子と父の話ばっかりなので、女性の私としては警戒しつつ突き放しつつ鑑賞してます。しかし、この映画は不覚にも大泣きしてしまいました。
主人公のスティーヴ・ズィスー(ビル・マーレイ)は海洋探検家かつドキュメンタリー映画作家です。クラウス(ウィレム・デフォー)、妻のエレノア(アンジェリカ・ヒューストン)、ペレ(セウ・ジョルジ)、ウォロダルスキー(ノア・テイラー)らから成る“チーム・ズィスー”を率いてベラフォンテ号に乗り、世界中の海を冒険して作品を撮っています。しかしこの九年間はヒットがなく、盟友のエステバン(シーモア・カッセル)を失った冒険を記録した新作も、映画祭で不評でした。そこでスティーブは再起を賭け、エステバンを殺したジャガーザメに復讐する旅を計画します。その新しい旅に、「スティーヴの息子」と名乗るネッド(オーウェン・ウィルソン)、不倫相手の子どもを妊娠中の海洋雑誌記者のジェーン(ケイト・ブランシェット)も同行することになり……というコメディです。
スティーヴのモデルはフランスの海洋学者、ジャック=イヴ・クストーなのだそうです。確かにクストーとルイ・マルが共同監督した『沈黙の世界』を見たら、クストーはスティーヴと同じボンボン付きの赤いニット帽を被っているし、映画に使われている字幕の書体も似てるし、船内でチェロを弾く乗組員がいるし、犬もしっかり出て来ました。しかし、ウェス・アンダーソンとノア・バームバックによる音声解説では、クストーの名前を言っていると思われる箇所はすべて「ピー」音が! 映画のエンドクレジットにはちゃんと「IN MEMORY OF JACQUES-YVES COUSTEAU ~」とあったのに。
ウェス・アンダーソン監督作品おなじみの父と息子の話に重ねて、この映画で語られるのは“ニセモノ”の話です。ヤラセドキュメンタリー、クストーのパチモノ、ヘンリー・セリックのアニメによる架空の海洋生物、息子と名乗る怪しい青年、ポルトガル語でデヴィッド・ボウイを歌うブラジル人、不倫相手の子どもを妊娠中の女、三本足の犬、浮気しまくりの仮面夫婦などなど全編に“ニセモノ”たちが溢れ返ってます。
そんなニセモノの人々が、正統や本物や真実ってことを超えて、思いがけなく強い絆を見せてくれるので、意表をつかれて大泣きしてしまいました。ウェス・アンダーソン映画でおなじみ、端が歪むくらい広角で撮られたスタイリッシュな映像、ポップな色調、マーク・マザーズボーのかっこいい音楽、かわいい美術で作られた精巧な細工のような世界も、他の作品以上に合っているように感じます。
ウェス・アンダーソン映画は、男性キャラクターがいつもなんだか似てるように、女性もたいていアンジェリカ・ヒューストン演じる知的で強い「母」か、タバコをひっきりなしに吸う「チンピラ娘」が登場します。
ジェーンを演じるケイト・ブランシェットは、この映画ではひっきりなしにガムを噛んでますが、妊婦でなかったらガムはタバコだったはずです。そして今回のアンジェリカ・ヒューストン演じるエレノアは、強いけれど、子どものいない母でした。
ベラフォンテ号の船内で、エレノアはフライパンで山食パンをトーストして、牛乳を添え、父のない子を産もうとしているチンピラ娘のジェーンに食べさせます。チーム・ズィスーのみなさんはケーキを作ったり、カンパリを飲んだり、でかいロブスターを食べたり、モエ・エ・シャンドンのマグナムボトルを飲んだり、ベラフォンテ号の中は楽しい食べ物シーンがいっぱいありましたが、女性二人で“ある秘密”について話す、この山食パンシーンが一番好きでした。エレノアが、ジェーンのお腹の中の子どもに、この上なく優しく、生命のもととなる栄養を与えつつ、ある子どもを容赦なく残酷に殺す、というすごいシーンです。