2012年9月7日金曜日

日本橋(1956年)

季節はずれのハマグリの潮汁。

 OLとOL、刑事と刑事、カウボーイとカウボーイ、軍人と軍人、北島マヤと姫川亜弓(『ガラスの仮面』)、ノエミとクリスタル(『ショーガール』日記へ)などなど、同じ職業のライバル同士が力の限り戦うことでお互いを認め合う友情映画はいっぱいあります。同じ人を愛する恋敵同士が、その愛し方を通して尊敬し合う映画もいっぱいあります。ずいぶん前に淡島千影追悼の気持ちでなにげなく見た市川崑監督『日本橋』も私にはそんな映画に思えました。好きなシーンがあったので泉鏡花の原作も読み、先日、日本橋でゆかりのある場所めぐりをして来ました。





 主人公のお孝(淡島千影)は日本橋の売れっ子芸者で、西河岸の延命地蔵尊の近くの露地で置屋を始めます。その露地には芸者の幽霊が出ると噂されていましたが、気の強いお孝は千世(若尾文子)をはじめ芸者をたくさん抱えて羽振りよくやっていました。お孝は美しく優しい清葉(山本富士子)をライバル視し、清葉が振った男を自分の恋人にするという当て付けを繰り返しています。北海道の海鮮問屋の五十嵐伝吾(柳永二郎)もその一人でしたがお孝に捨てられ、清葉への未練も断てず、すべてを捨てて東京で浮浪者になっていました。ある日、清葉は医学者の葛木晋三(品川隆二)の座敷に呼ばれ、清葉に姉の面影を重ねる葛木に思いを告げられますが、旦那のいる身の清葉は彼の思いに答えられません。一石橋で悲嘆にくれていた葛木は巡査に怪しまれ、尋問を受けているところをお孝に救われ……という物語です。





 市川崑監督が小村雪岱の絵のような画づくりをしているところが面白かったです。山本富士子が雪で真っ白に染まった橋の上を赤い傘を差して渡るシーンなどまさに小村雪岱の世界で、神保町シアターの客席から溜め息がもれていました。私が一番感動したのは、お孝が二階の窓から落してしまう扇を清葉が露地でキャッチするところです。『ショーガール』でノエミとクリスタルがドッグフードを食べた話をしながら高級シャンパンのクリスタルを飲むシーンに匹敵するくらいの、素晴らしい女の友情シーン。儚い身の上の芸者同士の友情をこんな美しく描く方法があるのかと、不覚にも涙してしまいました。この扇のシーンは原作にもあります。


 


日本橋西河岸延命地蔵尊。


 お孝の置屋・稲葉家のすぐそばにある西河岸地蔵尊は今もありますが、昭和五十一年(一九七六年)に建て替えられたものだそうです。本堂には、明治座で『日本橋』が上演されたときにお千世を演じた花柳章太郎が奉納した小村雪岱画「お千世の図額」があり、申し込めば見ることができるとのこと。映画の中でお孝がお百度詣りをしていたお百度石もちゃんとありました。


日本橋西河岸地蔵寺にあるお百度石。


 葛木とお孝が出会う一石橋もまだ残っています。泉鏡花が『日本橋』を出版したのは大正三年(一九一四年)で、この一石橋の親柱が建てられたのは大正十一年(一九二二年)。そしてその親柱のすぐ脇にある「迷子しらせ石標」は安政四年(一八五七年)に建てられたので、泉鏡花が『日本橋』を書く前からここにあることになります。


葛木とお孝が出会う一石橋。


 一石橋の袂ではかつて「一石餅」が売られていたようです。しかし店は現存せず、どんな餅かすらわかりません。そのほかにも原作の『日本橋』には、苺や林檎が美味しそうな小紅屋という果物屋、河岸の立ち食い鮨、打切飴、大蒸篭で配る引越し蕎麦、上野の西洋料理、桶饂飩、八頭の甘煮、豆煎、天麩羅蕎麦、千草煎餅、紅茶などが出てきて、大正三年(一九一四年)当時の和食と洋食が混在している東京の食文化がわかるのも楽しいです。原作はそのほか「女二人が天麩羅で、祖母さんと私が饂飩なんだよ。考へて見ると、其の時分から意気地の無い江戸兒さ」なんてセリフもありました。通ぶってコダワリの蕎麦を食べるのが江戸っ子ではなくて、饂飩を食べる意気地のない感じが江戸っ子とは面白いです。


一石橋の迷子知らせ石標。


 葛木やお孝らが歩く日本橋は既に、辰野金吾が設計した赤レンガの帝國製麻ビル、東京火災保険、そして日本銀行が建っているモダン都市です。当時の建物はほとんど残ってないですが、日本銀行はいまでもその壮麗な姿を見ることができます。一石橋を渡ってその日本銀行の前に差し掛かるあたりで、実はこの映画で最も衝撃的な食事シーン、五十嵐伝吾が羆の毛皮の筒袖から蛆をむしって食べる場面が繰り広げられます。伝吾によると蛆を食べると身体が暖まって、何日も食事にありつけなくても平気なんだそうです。すごい生命力。『血と骨』のビートたけしみたいです。しかしOL日記に蛆を出すわけにはいかないので、ここでは葛木が放生会として一石橋から流した雛祭のサザエとハマグリにちなみ、ハマグリの潮汁を作りました。


一石橋の方から眺めた日本銀行。


 貧しい家に生まれながら頭脳明晰で医学者の道が開けた葛木晋三。アザラシのような男でありながら実業家として成功した五十嵐伝吾。二人は日本の近代化によって道が開けたものの、生れた境遇の暗さを払いきれず、近代と近世の間で迷子になっているように見えます。そして置屋の女将として自立するはずが恋愛で挫折してしまうお孝と、「清葉さんは楽勤め」と腰掛けOLのように揶揄される芸者から一変してお孝の跡を継いで置屋の女将となる清葉も、同じではないでしょうか。赤レンガの西洋風のビル群と電車、花街や河岸や地蔵尊が混在する日本橋という町が、彼ら彼女らの姿に重なることは言うまでもありません。そして現代の自分とそうかけ離れてる世界ではないという気もするのでした。


 


 文庫に掲載されている佐藤春夫の解説には「この一篇を一貫する主題は愛情である」とありましたが、私は「餅屋は餅屋ぢゃ、職務は尊い」という巡査のセリフがこの本のキーになる言葉のような気がします。それは私が都会でサバイブ中のOLだからでしょうか。ハマグリの潮汁は五月頃に料理して撮ったものです。NHK「ためしてガッテン」でハマグリは加熱しすぎないよう気をつけると身がやわらかくふっくら仕上げられると言っていたので、ちょっと沸騰したところで火を止めて密閉性の高い蓋をして余熱でハマグリの口が開くまで温めてみました。だし、塩、酒、醤油のシンプルな味付けながら、たいへん美味しかったです。