2013年2月19日火曜日

ニーチェの馬(2011年)

パーリンカをゲットした!

 どこの国の映画を一番たくさん見ているかというと、アメリカ映画だと思うので、もちろんアメリカ映画は大好き。

 でも最近、ちょっとアメリカ映画に疲れた気分です。いかにも物分りのいい頭のいい人が、サービス精神旺盛にシナリオや演出を緻密に考えて上手に作ったような映画よりも、もっとワガママに、撮りたいものを好き勝手に撮っているような映画が見たいなあと(贅沢だ!)、昨年、映画館でいろいろ見た映画のひとつが、ハンガリーのタル・ベーラ監督が撮った『ニーチェの馬』でした。


 


 見に行く前は寝ちゃうかもしんないと思ったのですが、濃密な緊張感に圧倒されて、まったく寝ませんでした。真横に吹く嵐、視界を白く覆う砂、怪物めいた馬、熱々のじゃがいもに目を奪われているうちに終わった154分間。でも何がどう面白かったか説明しろと言われたら、ちょっと困っちゃうと思ったのも本当のところです。

 ところが正月に会った人の『ニーチェの馬』の感想がとても面白かったので、1月3日に再びDVDで見てしまいました。2013年、一発目の映画鑑賞が『ニーチェの馬』。うーん、なんて重苦しい年明け。そしたら冒頭、1889年1月3日にトリノでニーチェが発狂したって字幕から映画が始まったので、「今日だ!」と笑ってしまいました。そしてTwitterを見たら、1月3日生まれのケラリーノ・サンドロヴィッチさん(本名:小林一三)も1月3日に『ニーチェの馬』を見ていました!




 映画は、髪の毛ボサボサのオジサンが、足が太くて毛がボサボサの怪物のような馬が引く馬車を走らせるシーンから始まります。
 激しい風が吹き、同じフレーズが繰り返される陰気な音楽が流れる中、カメラはまず正面から馬を撮り、次に横から馬とオジサンを撮り、さらにちょっと離れたところから馬とオジサンと馬車を撮り…と、まとわりつくようにノーカットで馬車を撮り続けます。

 こんなにえんえんと撮り続けられると、普通の映画においてどうしても考えてしまうのは「何か起きる…?」ということです。馬が暴れるんじゃないか?とか、馬車に事故が起きるんじゃないか?とか、ニーチェだけじゃなくて馬も発狂するんじゃね? とか余計なことを次々考えてしまい、緊張感を強いられるのですが、何も起きません。


 


 初めてカットが割られると、馬とオジサンは小屋の前に到着しています。家から女の子が走ってきて、馬から馬具を外し、馬を馬小屋に入れ、馬具を壁にかけ、飼葉を馬に与え、馬車を小屋にしまい、オジサンと女の子で洗濯物を取り込んで家の中に入るところまでをカットを割らずに再びえんえんと見せられます。二人はひとことも喋らず機械のように動くので、ここでも「馬と馬車を小屋にしまう」という、オジサンと女の子の儀式のような手順に「今度こそ何か起きる…?」とまたもや妙な緊張感を強いられるのですが、何も起きません。


  


 次はオジサンが着替えをするところをえんえんとノーカットで見せられます。着替えを手伝っている女の子は、娘なのか妻なのか下女なのか、まだわかりません。そしてオジサンが怖い表情をして、左の目で女の子をやたら凝視するので、「今度こそ何か起きる…!」と、またまた妙な緊張感を強いられます。これがオバサンと男の子だったら、こんなにも妙な緊張感は覚えない気がするのですが、でもここでも何も起きません。 


 


 白黒なので季節もわからない。オジサンと女の子はひとことも言葉を交わさないので二人の関係もわからない。オジサンの職業もわからない。国はどこで時代はいつなのかもわからない。それが映画を見ているうちに、二人は父娘で、母親はどうやら死んだみたいで、私が見ているのは、何千回、何万回と繰り返されてきた、父と娘の日常であることがだんだんとわかってきて面白いです。

 そもそも現実の日常はノーカット。特別なセリフも説明もないのが当然なのに、『ニーチェの馬』を見ていると、ついつい緊張感を覚えてしまう自分がとても新鮮でした。そして日々、「今度こそ何か起きる…!」かもしれないと思いつつ、本当に何か起きたり起きなかったりしながら生きているのも、また真実だよなあと思うのでした。





 オジサンと娘の家には窓がひとつだけあります。食後や家事の合間に二人はそこからじっと外を眺めるので、まるでその窓辺の席は「特等席」のようです。しかし窓から見えるのは、毎日特に何の変化もない丘と木と激しい風と井戸だけで、正直、「そんな単調な景色の何が面白いの?」と思います。しかし『ニーチェの馬』を見ているうちに、その特等席から熱心に外を眺めているオジサンと娘と、この映画を見ている自分は似ているなあと思えてくるのでした。

 一見、単調な繰り返しのような映画なのに飽きない。その秘密は、食事シーンを見てもわかります。初めて見たときは、繰り返し繰り返しじゃがいもを食べてたなあという印象しか残らなかったのですが、2回目見てみると、6日間のじゃがいもの食事シーンは実はすべて全然違うことに驚きました。





 1日目、娘が父に向かって言う「食事よ」が、この映画の初めてのセリフです。そしてカメラはオジサンがじゃがいもを食べる様子を正面から映しています。オジサンは左手しか動かないので、不器用に皮を剥き、乱暴に実を潰して食べています。

 2日目はカメラは娘がじゃがいもを食べる様子を正面から映します。娘は両手を使って一口サイズずつじゃがいもを崩して食べます。ここで初めて娘の顔がはっきり見えるので、レスリングの吉田沙保里選手にちょっと似てるなあとか、絶世の美女じゃないのになんだか愛着が湧く女の子だなあ、とかいろいろ余計なことを考えてしまいます。この娘を演じているボーク・エリカちゃんは、児童養護施設にいた11歳のときにタル・ベーラ監督作品でデビューして、『倫敦から来た男』でも肉屋で働く娘を演じていてすごくよかったです。でも彼女は女優になる気はなく、タル・ベーラの映画に出演する以外は、ウィーンのレストランの洗い場でパートタイマーとして働いているとのこと。そういうエピソードも含めて、彼女はなんだか心惹かれる女の子です。

 3日目は父と娘が向かい合って食べている様子を、戸口の方から撮っています。
 4日目は大事件が起きるので食事シーンはありません。
 5日目は父と娘が向かい合って食べている様子を、今度は家の奥の方から撮っています。
 6日目は父と娘が向かい合って食べている様子を、3日目と同じく戸口の方から撮っているのですが、カメラはもっと父と娘に寄っています。そしてテーブルの上のじゃがいもは、今までと同じに見えて、実はまったく違うものでした。





 退屈で寝ちゃうかも…、なんてとんでもなかったです。映画で描かれる6日間はそれぞれ違っていて、まったく単調ではありません。ものすごい長回しを見せ続けるワガママな映画ではあるのですが、好き勝手に行き当たりばったりに撮られている映画では全然なく、見終わってみると、予想に反して、とても緻密に計算された映画を見たことに気付きました。

 そして、じゃがいもとともに、この映画でもうひとつ気になった食べ物は、オジサンと娘が朝ごはんとして飲むパーリンカ(焼酎)です。毎日じゃがいも1個しか食べるものがないくらい貧乏だから、朝ごはんに焼酎を飲んでいるのかと思ったら、ハンガリーにはパーリンカを朝に飲む習慣があるみたいです。人によっては、蜂蜜を入れることもあるとか。


朝ごはんにアルコール40度のパーリンカ!


 そんなパーリンカがまさか日本で買えるとは思ってもみませんでしたが、ネット通販サイトを見つけたので、杏のパーリンカを購入してみました。見た目は日本の焼酎やウォッカのように無色透明。そして杏や桃やプラムで作られる果物の酒なので、とても甘いいい香りがしました。しかし香りは甘くても、アルコール度数は40度! 『ミッドナイト・イン・パリ』を見て飲んでみたカルヴァドスと同じくらいです。とてもそのままでは飲めなくて、桃のソーダで割って飲みました。ものすごく気が強くて可愛くて清潔な、身長150cmくらいの女の子みたいだな、というのが私のパーリンカの印象です。




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